待ち受け画像と羊毛とおはな


ほぼ日のサイトで良いものを見つけた^ ^


「福田利之のホーム&ロック」

https://www.1101.com/homelock/index.html 


素敵なイラストをダウンロードしてスマホの壁紙にできる!


今月はこちら♪


絵本のようにかわいくて、最近よく聴いてる、‘羊毛とおはな’ の、「大きな木と小さな鳥」って歌に雰囲気がぴったりだなーとなごんだ。

さっそく待ち受け画面にした。



この歌がyoutubuになかったから、ほかの好きな歌を。


最近は季節の変わり目やらなんやらで、わたしはまたもやいちだんと不調の数日です。。(T ^ T)


(少しずつ改善してて安心してたら、ときにこんな風にガクッと落ちる波がある。

アトピー体質の脱ステロイド後の肌の回復には、期待するより長い時間が必要のようだとわかっているので、気持ちはそこまで落ちこまないけれど。)


こういうものを見つけるとうれしくなる。



お気に入りの猫の動画

 

このまえ、庭先を三毛猫が歩いているのをみつけてうれしくなった。

 

ずいぶん前、実家で猫を飼っていたとき、猫がとても愛情深いのを知って意外だった。

イメージ通り、けっこうクールではあったけれど。

 

たとえば、いつもよりも帰りが遅いと、玄関で待っていたり、

へんなところで寝てしまったりすると、ちょいちょいと手で頬をさわって起こしたり。

 

試しに、明日の朝、6時に起こしてね、と言ってみたら、ほんとうに起こしにきてくれたこともあったな。

 

 

この猫ちゃんもたのもしい (^-^)

 

 

 

 

” 不幸せ ” のつくり方

 

” 不幸せ ”な気分に落ちいるとき。

 

いまのありのままの自分の現状を、認められない、許せない、ときだなぁと最近あらためて気づいた。

 

たとえば、いまのわたしのありのままの現状といえば、肌の改善のための療養中。

 

アトピー体質にはじまり、ステロイド使用、その後脱ステロイド、とつづき、

痛み過ぎてしまった肌は、健康的なやわらかさを失っているので、固くなってしまったところがいたむしかゆい慢性的な症状になっている。

 

改善のための環境を整え、ゆっくりと時間をかけて根気よく身体の治癒力を応援する。

身体が治癒していくのに必要な時間は身体が知っている。

 

 

だけど頭は先ばしりしやすくて、「もうこのくらい長くやっているのだから、このくらい改善してもよいのでは」と期待する。

 

そうすると、その期待にこたえられない身体のペースを認めることができなくて、もどかしさや焦りを感じたり、悲しくなったりする。

 

 

わたしのなかで、「期待する気持ち」と、「実際の治癒にかかる身体のペース」が分裂している。

これが、苦しさや不幸せ感を生んでいる。

 

 

 

でも、より早い改善を期待するわたしが悪いわけでもない。

行きたいところも、会いたい人も、やりたいこともあるもんね。

 

 

 

ただ、いまは、身体の症状が圧倒的に助けをもとめていて、それには安静と時間が必要で、そこを認めて尊重しているときに、わたしはいちばん安心できて心地よいんだ。

そしてその状態だと、身体がそうとう修復されてラクになっているんだってことも素直に実感できる。

 

だから、落としどころは、他のいろんな望みや期待の声にふりまわされずに、身体のペースを優先させて過ごすこと。

その在り方をあらためて最近確かめた。

 

 

期待するわたしの気持ちも認めてる。

それは、わたしの中に居場所をもらって、安心してやりたいことをやれるタイミングを待っている。

 

 

 

 

心がなごむ(^-^)、ギリシャのサントリーニ島の景色。

 

 

きんきょう その6

皆さま、お元気ですか。


1月はわたしの身体にとってけっこうヘビーな期間。


今年もそうでした。


(それに、今年は星まわり的にも、シビアな空気感でしたしね。)


それもあって、もうすこし、身体が治ろうとする力を後押ししようと、新年そうそうあらたなアイテムを取り入れてみた。


それでずっと肌に好転反応がでていて、まぁそれも辛いのですが、身体そのもののパワーは強まった感じで、よい方に動いているんだと体感があったので、なんとかのりきり、今日あたりから、ようやく落ち着いてきたかな。


油断はしないけど、症状がラクになると、とてもほっとする。


身体の回復って、かすかな変化はあるものの、しばらくはほぼ横ばい状態が続いて、あるタイミングでぐっと上がるように思います。


勉強とかなんでもそうだろうか。。


横ばいの時は、しんどかったり、もどかしくて焦ったり、つかれてやる気が保てなくなったりしやすい。

ここをのりきると、ぐっと上がる時がくる。



すこしずつ改善している。

でもステロイドなんかで痛みすぎてしまった肌自体はまだ普通になってはいなくて、修復するには時間が必要。

ゆったりいこう。

いたみかゆみもあるので、まだ療養はつづきます。疲れると悪化するし。

身体はムリしないペースのまま過ごします。


気力は余裕がでてきたので、ゆったりしながら身体を使わずできることをしよう、とまずは英会話をきき流すように、聴いてます。


まだリスニングしての理解度は横ばいだけど、ここをのりきるぞ、と書いておく(とできる気がするから 笑)

かえってくるペンギン

 

助けてもらった男性に、毎年数千キロ泳いで会いにきていたマゼランペンギン の話。

 

CBC News

https://www.cbc.ca/news/trending/dindim-penguin-1.3487668

 

この話を紹介していたブログはこちら

https://ameblo.jp/nomadodiet/entry-12433213904.html 

 

 

ブラジル、リオデジャネイロの沖合にあるグランデ島に住むJoaoさんは、2011年に、自宅近くの浜辺に打ち上げられたマゼランペンギン をみつけた。

そのペンギンは原油にまみれ、飢え死にしそうになっていた。

 

Joaoさんは、そのペンギンを保護し、Dindimと名前をつけて、体力がもどるまで、毎日餌をあげていた。

 

そして、元気になったDindimを海へかえそうとするがなかなか言うことをきかない。

 

しょうがなく、ボートで沖まで連れて行き海に放して浜辺に戻ってきたら。。。

 

なんとDindimは、Joaoさんのボート小屋の前で待っていた(゚o゚)

 

それから11ヶ月間、Dindimは、Joaoさんと一緒に暮らし、ある日海に帰っていった。

 

Joaoさんは、Dindimは故郷にかえり、もう自分のところにもどることはないと思っていた。

 

が、

数ヶ月後、Dindimがもどってきた!

それから毎年、6月〜2月の間、DindimはJoaoさんのところにもどり一緒に暮らすようになったという。

 

*****

 

マゼランペンギン の生息地はアルゼンチンとチリの海岸で、ブラジルのJoaoさんの家にもどるには、3000キロ〜数千キロは泳がなくてはならないんだそう。

 

6月、Joaoさんの家があるグランデ島をめざして泳ぎはじめるその瞬間。

Dindimの身体のなかには、どんな感覚が生まれているんだろう。

 

知能が高くても、例えば「恩を返す」とか理屈にとらわれたりはしないと思うから、何か純粋な感覚が身体のなかに湧いて、それに素直にしたがうんだろう。

 

もともと野生の生き物だからなおさら、ただ安全に生きるという本能をこえた(ある意味危険な)行動をとってまでもどってくる姿に、なんだか不思議さと愛おしさを感じてしまう。

このちっこい姿♡

 

 

 

永遠の今

この前の、オンラインフォーカシング研究会で、「今、この身体を感じること。それは永遠につながる」というような話になった。


フォーカシングでは、いま身体がどう感じているか、を丁寧に感じて、言葉にしていくことで、いま必要なことが分かっていく。


いま感じていることを丁寧に、というのがとっても大事。


たとえば、よくある症状だから、といつも同じ表現であらわしてしまうことってあると思う。


例えば、緊張した時に、「喉がつまる」とか。


この前は、喉がつまる、感じだったとしても、同じような症状だと頭で判断して、同じ言葉をくりかえす、のでは、“今”の身体を感じているわけじゃない。


今の身体はどんなふうだろう。。。内側に意識を向けて、心をひらき、頭での判断なしでただ感じて、それを丁寧に言葉にしてみる。


今の喉の感じは、実は、「つまる」はピッタリではなくて、「締めつけられる」方がしっくりくる、かもしれないよね。



口にする言葉は、整った言い回しである必要はなく、むしろ、身体の感覚を探りながら、話がとぎれとぎれになるくらい言ってみて感じて言いなおして、というように、ピッタリの言葉を探すことがキモ。


整った言い回し、というのは、すでに明らかにされた過去の情報なので、無意識と顕在意識の境目となるきわ:“エッジ” に触れることはない。


エッジに触れる言葉を見つけることこそ、本当に必要なメッセージへと身体と意識をひらく鍵なんだ。


過去でも未来でもなく、ただ、今、ここに在る、身体(それが伝えるものは、生命が生きようとする力、なんだと私は思ってる)を感じる。


それがすべて。そして永遠につながる。


*****


という、フォーカシングのやり方や、そこに見いだす、人の身体や心の不思議さやすごさ、については、いつもいくら語ってもフォーカシングラブが溢れてしまう私たちなのですが 笑


せっかくだから研究会で、腑に落ちたことなど、お仕事用のホームページのブログの方にちゃんと書き留めたいなーと思ったりもしてます。


*****


今日書きたいなーと思ったのは、「永遠の今」というフレーズで思い出したこと。



大学生の頃、スキューバダイビングクラブに入っていて、夏の合宿は、沖縄の離島に行った。


石垣島のビーチダイビングの時。

浜辺から、浅瀬になっている珊瑚礁のリーフを沖にむかって延々と歩き、深い海がはじまる切れ目にたどりつく。


そこから、紺色にみえる深みに、グーンと潜る瞬間は、何が出てくるのかわからない怖さも一瞬あるのだけれど。


天気が落ちついていて、濁りのないタイミングの南の海は、透明度が高く、目が慣れてくると、真っ白い砂に太陽の光がゆれて、とても綺麗。


岩場の陰には色とりどりの魚たち。



その、青い青い水の空間のなかで、不意に、ああこのまま時がとまってもかまわない、というような気持ちになったことがある。


腰につけたウエイト(重し)や、酸素のタンクの重さ、そして、泳ぐ姿勢や呼吸の仕方など、ちょうどうまくバランスがとれて、ふわぁーと浮遊する感覚になっていたのもあるだろうな。


浮かないように、または沈まないように、と力む必要がぜんぜんなくて、とてもとても心地いい。


何にもとらわれてなく、ただ、そこに浮かんでいる私。

私なんだけど、私でもなく。

まわりの青い空間そのものと隔たりなく、溶けこんでいるかのような。


その感覚は永遠の今、といえるものでもあったなーと。



それと、

すごーくよい音で、心地よく感じる音楽に包まれるのも、その浮遊感に似た気持ちになる。

ああ、ずっとこのままこうして聴いていたい、ってね。









日本語ってむずかしい

日本語ってむずかしいんですねー。

そうだろうと思ってたし、自分自身も敬語や熟語など、ちゃんと使いこなせてるかはあやしいんだけど。


日本語を学ぶ外国の方が、試験で真剣に書いてしまった回答が、おもしろすぎた。

大変ですねー、とねぎらいたくなる。

そして答えがどことなく可愛い。


楽しい記事だったのでここにもリンクしとく。

https://ameblo.jp/rumicommon/entry-10033740439.html 





2018年ありがとうございました

今年も残すところあと数時間。

2018年、よい年でした。


体質改善優先で引きこもり、

できることが少なく、

落ちついて過ごせる時間も限られている。


だからこそ、活動もいま必要なことだけに自然に絞られてきたのは、わたしにとってよかったなぁと思ってます。



このブログを覗きにきてくださってありがとうございます。


2018年はどんな年でしたか?





わたしは、“言葉” って昔から好きなのですが、これまでは、あらたまって文章を書くこうとすると、重たい気分になって、なかなか進まないところもありました。


やろうとするのに、なかなかできない、ってことにも理由はあって。


落ちついて時間をかけてフォーカシングをして、自分のホロスコープの特徴とも照らし合わせて理解して、それが何なのかようやく腑に落ちてきたように思います。


文章で表現すること、2019年は、さらにのびのびと試してみたいです。



そして、もっと体調が落ちついたら、やりたいと思うこといろいろやってみよ、とあらためて思う年の暮れ。

身体の変化を焦らせるつもりはないけれど。

それもまた必要な時間だし。




よい年をお迎えください。

きんきょうその5

こんばんは。

すっかり寒くなりましたね。



日にちを数えてみたら、体質改善のために徹底的な食事療法をはじめて、ちょうど100日目は、12月22日。


ちょうど冬至の日にあたるのでした。

キリがいいね。


まだ続けるけれど、身体がかわるのには、最低100日は必要、ってことで、ひとまず、そのラインにはたどりついた〜。。やっと。



思えば、夕方から夜のはじめにかけて貧血みたいにしんどくなりがちだったのがなくなったし、症状がまだ強い腕や足以外の、顔とかの肌は、ツヤツヤで、とても元気にみられる。(声とか気力とかはじっさいに元気だと思う)


腕と足の症状は、ほんとに少しずつかわっていってる感じなので、あせらずよいと感じることはして、見守り。


ひとまず冬至まえはデトックス時期だから、その流れにあわせて、ゆったり毒出し、心も身体もスッキリさせよう。






フォーカシングのオンラインでの勉強会は、わたしが引きこもりなのもあって、むしろ充実してきてます。


体調が落ちついている時間がながくなってきて、できることが徐々に増えてきたのもあるでしょうね。


毎度、自分の心と身体の感じにフォーカスしつつ、そうなのかー、とあらためて腑に落ちるのがおもしろい。


「変えようとしないこと。あるがままをただみとめ寄り添うことで、‘それ’は、そのものの真実の姿になっていく」というのが、最近の腑に落ちフレーズ。


‘それ’って、自分の中の感情や身体の感覚などがしめす、フェルトセンス、のこと。


フェルトセンスは、はじめは扱いにくい感情のように思えても、あるがままにみとめ、寄り添うことで、姿をかえ、生命からの、より本来の姿で生きるためのメッセージを伝えてくれる。


メッセージを得ることが目的ではなくて、ただあるがままをみとめ寄り添う、こと、がすべてなんだけどね。



そんなんで、症状のある身体をかえようかえようと焦らずに(なるべくだけど)、いまのあるがままをみとめ寄り添う、というのも少しずつできはじめた。


そうすると、ここにはそんな感情があったのか、、、

とけなげに感じることもある。


身体の感じをフォーカシング的に(判断しない、アドバイスしない、心をひらいてあるがままに)聴いてもらってると、その間はいたみかゆみを感じなくなったりね。



そんな風に過ごしているせいか、いろんなことが愛おしく思えてくる。


ふいに過去の記憶を思い出した時、

その時の自分が感じていただろう気持ちを、そのものに同化するのではなく、そばに寄り添って、心をひらいて見つめてみたり。


あの時わからなかったことが今わかるような気がする。



こんな風に過去の自分をみつめなおして、あらたに生まれかわるような雰囲気は、今回の冬至の雰囲気にあってるなぁ。


過去の自分を愛おしんで、成長したいまの自分を信頼する。




最近は、身体の療養のことばかり書いてますけれど、見にきてくださってありがとうございます(^^)


このいまも、また愛おしい記憶になって未来につながるのでしょう。


今ここ、がすべてを創りだす(過去のパターンに縛られずに今ここでそうありたい自分であるってこと)から、つながるっていうより、あたらしく生まれかわったわたしが、また未来から、いまのわたしをみつめる、のかな。




*****


そして、その後タイムリーに読んだこの記事。

https://ameblo.jp/holistetique/entry-12425980780.html

バニラさんのブログは前から参考にしています。

あらためてリラックスして長い目で身体をみつめようと思った。


またきっと読み直すのでここにリンクしとこ。

身体の自然の摂理のリズムがあると知りつつ、それにとらわれずガラリと変わる、ってこともあり得ると思ってる。

それは意識をどのくらい自由にするかなんだろうね。






きんきょうその4

少し前に通った道沿いのコスモス畑。


すっかり秋も深まってきましたね。

冷えてきたので、わたしは薬草風呂を再開しました。

いまはドクダミ湯。


身体の内側が整ってきたせいか、外側からの効き目も前より感じます。

薬草って興味ある、ドクダミ、ヨモギ、ビワ、とくに身近で採れるもの。


自然の原っぱが身近にあれば、そこに住む病気の人に必要な植物が生えてくる、という。

家の庭には、自然に生えたドクダミがいっぱい。


わたしはずいぶんと気持ちは元気で、肌も前よりずいぶん落ち着いてきました。

けれど、いたみかゆみを我慢しないでいられる、のを普通にするには、まだもう少しかかるかなぁ。


腕と足の肌はまだ本来の姿ではなくて、ちょっとムリをするとかゆみいたみが我慢するのも辛いくらいになる。

ので、まだまだゆったり療養メイン。


美容院、映画、ステキなこだわりのお店、友だちに会いに、行きたいところも多いのだけど、症状は緩和されたけれども、我慢しない、我慢レベルも下げたので、まだお預けです。(無意識に慢性化してしまった我慢グセを手放すのも、全体的な意味での体質改善の一部だと感じてるから)


行きたいなーと思ったら、ナチュラルにさあ行こうと動ける身体になるまで頑張らないをがんばろう。