きんきょうその5

こんばんは。

すっかり寒くなりましたね。



日にちを数えてみたら、体質改善のために徹底的な食事療法をはじめて、ちょうど100日目は、12月22日。


ちょうど冬至の日にあたるのでした。

キリがいいね。


まだ続けるけれど、身体がかわるのには、最低100日は必要、ってことで、ひとまず、そのラインにはたどりついた〜。。やっと。



思えば、夕方から夜のはじめにかけて貧血みたいにしんどくなりがちだったのがなくなったし、症状がまだ強い腕や足以外の、顔とかの肌は、ツヤツヤで、とても元気にみられる。(声とか気力とかはじっさいに元気だと思う)


腕と足の症状は、ほんとに少しずつかわっていってる感じなので、あせらずよいと感じることはして、見守り。


ひとまず冬至まえはデトックス時期だから、その流れにあわせて、ゆったり毒出し、心も身体もスッキリさせよう。






フォーカシングのオンラインでの勉強会は、わたしが引きこもりなのもあって、むしろ充実してきてます。


体調が落ちついている時間がながくなってきて、できることが徐々に増えてきたのもあるでしょうね。


毎度、自分の心と身体の感じにフォーカスしつつ、そうなのかー、とあらためて腑に落ちるのがおもしろい。


「変えようとしないこと。あるがままをただみとめ寄り添うことで、‘それ’は、そのものの真実の姿になっていく」というのが、最近の腑に落ちフレーズ。


‘それ’って、自分の中の感情や身体の感覚などがしめす、フェルトセンス、のこと。


フェルトセンスは、はじめは扱いにくい感情のように思えても、あるがままにみとめ、寄り添うことで、姿をかえ、生命からの、より本来の姿で生きるためのメッセージを伝えてくれる。


メッセージを得ることが目的ではなくて、ただあるがままをみとめ寄り添う、こと、がすべてなんだけどね。



そんなんで、症状のある身体をかえようかえようと焦らずに(なるべくだけど)、いまのあるがままをみとめ寄り添う、というのも少しずつできはじめた。


そうすると、ここにはそんな感情があったのか、、、

とけなげに感じることもある。


身体の感じをフォーカシング的に(判断しない、アドバイスしない、心をひらいてあるがままに)聴いてもらってると、その間はいたみかゆみを感じなくなったりね。



そんな風に過ごしているせいか、いろんなことが愛おしく思えてくる。


ふいに過去の記憶を思い出した時、

その時の自分が感じていただろう気持ちを、そのものに同化するのではなく、そばに寄り添って、心をひらいて見つめてみたり。


あの時わからなかったことが今わかるような気がする。



こんな風に過去の自分をみつめなおして、あらたに生まれかわるような雰囲気は、今回の冬至の雰囲気にあってるなぁ。


過去の自分を愛おしんで、成長したいまの自分を信頼する。




最近は、身体の療養のことばかり書いてますけれど、見にきてくださってありがとうございます(^^)


このいまも、また愛おしい記憶になって未来につながるのでしょう。


今ここ、がすべてを創りだす(過去のパターンに縛られずに今ここでそうありたい自分であるってこと)から、つながるっていうより、あたらしく生まれかわったわたしが、また未来から、いまのわたしをみつめる、のかな。




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そして、その後タイムリーに読んだこの記事。

https://ameblo.jp/holistetique/entry-12425980780.html

バニラさんのブログは前から参考にしています。

あらためてリラックスして長い目で身体をみつめようと思った。


またきっと読み直すのでここにリンクしとこ。

身体の自然の摂理のリズムがあると知りつつ、それにとらわれずガラリと変わる、ってこともあり得ると思ってる。

それは意識をどのくらい自由にするかなんだろうね。






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