愛なのか怖れなのか


最後にはそこにたどりつくのかな、と。

何をするにしても、
する何かがいいか悪いかではなく、
それをしようと思う動機が、愛なのか怖れなのか、だけなんじゃないかな、と。

そんな話を、昨日、友だちとしてた。

心のこととか、カラダとか、同じように興味があって、勉強している友だちと。



たとえば、完璧主義って、怖れからきていること、多い気がする。

(完璧とは、なんなのか、ということからして、それぞれに定義はあると思うけどね。
そもそも、完璧になれることなんて、あるのかな。。)


まあ、完璧主義、をたとえにしてみる。

完璧でないと認められない、愛されない、

だから、

さらに知識やスキルを身につけなければならない、

という動機は、怖れ、で、


さらに知識やスキルを身につけたら、より深く理解できたり、可能なことが増えるから楽しい、とか、

まわりの人が喜んでくれるから、うれしい、

だったら、愛(喜び)が動機になってると思う。


結果として、知識やスキルを身につける、という目的はおなじでも、動機が愛なのか怖れなのか、のちがいは、とても大きい気がする。

そのものごとが生みだすエネルギーの質が全然ちがうんじゃないかな。


私の体感としては、

怖れが動機だと、カラダも心も萎縮する感じ。


愛(喜び)が動機だと、カラダや心がノビノビとする感じ。

だから、できないからダメだとかそういう気持ちにもならない。
できたらうれしい、ってだけ。


だから、動機には愛(喜び)を選びたいな、とあらためて思ったのでした。






星を道しるべに

惑星ノートCalender


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