未来のカタチ

昨日、未来の自分たち、ということを考えていたら、

以前読んだエッセイを思い出した。

読み返してみたら、やっぱりいいな、と思ったので、引用させてもらった。


これは糸井重里さん主催の、『ほぼ日刊イトイ新聞』の記事。

掲載されたその日の朝11時〜次の日の11時までしか読めないから、気になった記事は、保存しておくことにしている。

少し長いけれど、こちら ↓↓

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「あ、これは未来だ」と
思わずハッとすることがあります。
未来って、いつも、
現在のなかにすでに含まれています。
 
 

1984年のある日、
「第一回アスキーソフトウェアコンテスト」
というものの審査会がありまして、
ぼくは審査員のひとりとして、
青山骨董通りのビルのなかに入ったのでした。
そこは、会社だったはずなのに、
会社のようではありませんでした。
なんだかとても自由に、
若い人たちが働いているように見えました。
直観的に、ぼくは思いました。
「給料はいらないから、この会社で仕事してみたい」
 その審査会のエライ人に、そう言ったのですが、
「ああ、いいですね」と冗談として終ってしまいました。
(その会社は、もう無くなってしまいましたけどね)
あの時代に、あの感じはめずらしいものに見えましたが、
のちには、ふつうのことになりました。
 
 

2013年に、別府の
『立命館アジア太平洋大学』に行って、
ぼくが感じたこと思ったことは、
1980年代に『アスキー』という会社で感じたことと、
よく似ているかもしれません。
まさか、「この学校に入学させてください」とは
言い出しませんでしたが、そういう気分はありました。
 
なんというか、ごく短く言えば、
「未来は、こっち向きだよ」という感じなんです。
この学校の、このやり方とか、この景色とかが、
やがて「未来のふつう」になっているんだろうな、と。
新しい理念だとか、新しいルールだとかは、
それが書かれた書類に表われるのではなくて、
現実の場面で雰囲気となって表われるのだと思います。
ぼくは、その雰囲気を、まるごと呑み込んだのでした。
 
この学校については、もっと、知ろうとしています。
「ほぼ日」でも紹介するかもしれません、おたのしみに。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
たぶん、「ほぼ日」のなかにも「未来」があるはずです。


ほぼ日刊イトイ新聞『今日のダーリン』より引用
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私が、こんなふうに未来が表れているんじゃないか、と感じるのは、

今住んでいるシェアハウスの暮らし方。

リラックスした日常的な交流のなかに、それぞれの人らしい活動があって、人と人とが関わることで、化学反応みたいに、あたらしい何かが創り出される雰囲気。

そんなコミュニティの在り方に、未来の気配がある気がする。


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