あるがままにすべてを感じきる

 

先日、オンラインでフォーカシングのセミナーを受けた。

アンとバーバラのフォーカシング

 

フォーカシング研究会で、

ずっとその方たちが書いた本を読みながら実践してきたものだから、

対面はかなわなかったけれど、

実際にご本人たちのデモを見て、

お話を聴いて、

ああ、わたしたちが実践しているそのままだ、

という興奮と感動があった。

 

そして、その後も研究会仲間と、感動がやまず、

しばらく熱く語っていたのだけれど。

 

そうしていながら、

このセミナーを受けたことが、

ひとつの修了証書のようだ、と感じた。

 

 

これでよかったのだ。

10年ほどかけてとりくんできた学びを、

しっかりと学び身に付けられたのだ、という確信が、

自分への信頼を明らかにして、

フォーカシングにとりくむ気持ちをさらに安定させ、

ずっとわたしの心の底に流れつづけている静かな情熱が、

あらためて泉のように溢れて今胸の内に姿をみせている。

 

 

アンとバーバラのフォーカシングの大きな特徴は、

自分の内側にあらわれるものすべてを

あるがままに親身に受けとめる存在に、自分がなる、

ということ。

 

これを言葉でいうのはシンプルなんだけど、

(実際にすることもシンプルなんだけれども)

 

あるがままに自分の中にあらわれるものすべてを受けとめる、

ことができるようになるには、

そうとう訓練をした。

 

 

 

自分の内側の

 

批判的な何かも、

怖れている何かも、

憤っている何かも、

悲しんでいる何かも、

こうしていること自体を否定するような何かも、

 

すべての感じを、

過小評価せず、

見過ごしたりフタをしたりせず、

 

 

ままならない状況だから、

しょうがないんだから、

「もういいだろうと」浅く触れただけで、

理解したつもりにならず、

 

 

その感じ自体が、

もう充分に感じてもらえた、

もういいよ、

と自然になるまで、

しっかりとそばに寄り添い感じきる。

 

ここまですると、

 

頭も心も含めた、

人の身体、は、もともと光の方へ、成長する方へ、

と伸びていく質を持っているので、

 

今の状況の中で、必要な力を思い出させてくれるんだよね。

今日もオンラインでフォーカシングのセッションをして、

それをありありと感じた。

 

 

 

 

アンとバーバラのフォーカシング


今日は、オンラインで、

フォーカシングセミナー。


本当は対面で、

福岡まで受けに行くはずだったけれど、

コロナの影響でオンラインになった。


アメリカ在住のアン・ワイザー・コーネルさんと、

イギリス在住のバーバラ・マクギャバンさんにリアルにお会いできなかったのはすごく残念だけれども、


対面では参加できなかったフォーカシング仲間も、

オンラインになったおかげで参加でき、

またこのセミナーが、

涙がでそうなくらい良い時間だったので、感動してる。


企画してくださったみなさま、

ありがとうございます。

明日も楽しみです。




お二人が共同で執筆された、

フォーカシングマニュアルは、

わたしたちのバイブル。

くわしく読み込んで、実践してきた。


そのせいか、

お二人が今日見せてくださったデモと、

わたしたちが今実践しているスタイルは、ほぼ同じで、

それを確かめられたことと、

さらに深められるヒントも頂けた。


あらためてフォーカシングにまた夢中になる予感がする♡



占星術もタロットもそうだし、

心から好きだと感じたものは、

時を経ても色あせない。

むしろさらに豊かになっていくね。



より楽しむために、

英語話せるようにならなきゃな〜♪

世界が広がるよね。


不死鳥とオウム


おとといフォーカシング研究会で、アニマルクロッシングをしてもらったら、出てきたイメージは、不死鳥とオウムだった。


不死鳥は、ハリー・ポッター・シリーズ、ホグワーツ魔法学校の校長ダンブルドアが飼っているフォークスだった。


はじめにフォークスがでてきて、その後カラフルな南国っぽいオウムになって、それから白いオウムになった。



このまえしたアニクロでは、真っ白でふわふわのメンドリだった。

https://ameblo.jp/astro-chie/entry-12546861180.html



白、と、鳥、が今のわたしのキーワードなのかなぁ。。


白は、まっさらな、純粋な、という感じ。


鳥は、、、なんだろう。


浮かぶ印象をあげてみると、


空を飛ぶ

(メンドリは飛ばないけれどね(・∀・))

軽やか

高いところから見られる

つばさ

素早い



空を飛ぶ、とか、軽やか、っていう言葉がぐっとくるかな。


のびのびとさえぎるもののない広い空を軽やかに飛ぶイメージ。


そんな感じは確かにこのごろしてるかも。


(オウムなのは、おしゃべり、コミュニケーション、がわたしにとって大事だからだな、と気づいた。

可笑しい^ ^)




永遠の今

この前の、オンラインフォーカシング研究会で、「今、この身体を感じること。それは永遠につながる」というような話になった。


フォーカシングでは、いま身体がどう感じているか、を丁寧に感じて、言葉にしていくことで、いま必要なことが分かっていく。


いま感じていることを丁寧に、というのがとっても大事。


たとえば、よくある症状だから、といつも同じ表現であらわしてしまうことってあると思う。


例えば、緊張した時に、「喉がつまる」とか。


この前は、喉がつまる、感じだったとしても、同じような症状だと頭で判断して、同じ言葉をくりかえす、のでは、“今”の身体を感じているわけじゃない。


今の身体はどんなふうだろう。。。内側に意識を向けて、心をひらき、頭での判断なしでただ感じて、それを丁寧に言葉にしてみる。


今の喉の感じは、実は、「つまる」はピッタリではなくて、「締めつけられる」方がしっくりくる、かもしれないよね。



口にする言葉は、整った言い回しである必要はなく、むしろ、身体の感覚を探りながら、話がとぎれとぎれになるくらい言ってみて感じて言いなおして、というように、ピッタリの言葉を探すことがキモ。


整った言い回し、というのは、すでに明らかにされた過去の情報なので、無意識と顕在意識の境目となるきわ:“エッジ” に触れることはない。


エッジに触れる言葉を見つけることこそ、本当に必要なメッセージへと身体と意識をひらく鍵なんだ。


過去でも未来でもなく、ただ、今、ここに在る、身体(それが伝えるものは、生命が生きようとする力、なんだと私は思ってる)を感じる。


それがすべて。そして永遠につながる。


*****


という、フォーカシングのやり方や、そこに見いだす、人の身体や心の不思議さやすごさ、については、いつもいくら語ってもフォーカシングラブが溢れてしまう私たちなのですが 笑


せっかくだから研究会で、腑に落ちたことなど、お仕事用のホームページのブログの方にちゃんと書き留めたいなーと思ったりもしてます。


*****


今日書きたいなーと思ったのは、「永遠の今」というフレーズで思い出したこと。



大学生の頃、スキューバダイビングクラブに入っていて、夏の合宿は、沖縄の離島に行った。


石垣島のビーチダイビングの時。

浜辺から、浅瀬になっている珊瑚礁のリーフを沖にむかって延々と歩き、深い海がはじまる切れ目にたどりつく。


そこから、紺色にみえる深みに、グーンと潜る瞬間は、何が出てくるのかわからない怖さも一瞬あるのだけれど。


天気が落ちついていて、濁りのないタイミングの南の海は、透明度が高く、目が慣れてくると、真っ白い砂に太陽の光がゆれて、とても綺麗。


岩場の陰には色とりどりの魚たち。



その、青い青い水の空間のなかで、不意に、ああこのまま時がとまってもかまわない、というような気持ちになったことがある。


腰につけたウエイト(重し)や、酸素のタンクの重さ、そして、泳ぐ姿勢や呼吸の仕方など、ちょうどうまくバランスがとれて、ふわぁーと浮遊する感覚になっていたのもあるだろうな。


浮かないように、または沈まないように、と力む必要がぜんぜんなくて、とてもとても心地いい。


何にもとらわれてなく、ただ、そこに浮かんでいる私。

私なんだけど、私でもなく。

まわりの青い空間そのものと隔たりなく、溶けこんでいるかのような。


その感覚は永遠の今、といえるものでもあったなーと。



それと、

すごーくよい音で、心地よく感じる音楽に包まれるのも、その浮遊感に似た気持ちになる。

ああ、ずっとこのままこうして聴いていたい、ってね。









真っ白なスクリーン


部屋のようすは、心のようすとつながっている。


あらためてそれを感じた出来事。



数日まえから、だんだん部屋がごちゃごちゃしてきていた。

腕の肌が腫れているので、片づけるのがしんどくもなっていて。


今日は、頭もカラダもスッキリ軽い。

ちょっとモノをうごかしたついでから、サクサクと片づけられた。


その上、なんとなーく、こうしよう、と思うままにちょっとした模様替えまでした。


1ヶ月ほど前に、必要があって買ったけれど、結局つかわなかった、大きめのホワイトボード、ちょうどいい場所におさまった♪


お気に入りの絵葉書など貼る。

思いついた言葉を描いてみる。

なんだかとても楽しめるスペースになった!



そして、いま、ピカピカでつるりとした真っ白のホワイトボードを見つめつつ、「これはどこかで見たぞぅ」と心がモゾモゾした。







あー、思いだした!

これは、4月のフォーカシングでわたしの内側にあらわれた、輝く真っ白のスクリーンではないか!(私の中のおサルさんhttp://chie909.jugem.jp/?eid=768


買った時にはそんなこと少しも思いださなかったけれど。。


そして、使い道がなくなった時も、なんだか不思議なくらいムダにしちゃった感がなく、これはわたしに必要なの、となんとなく思っていた。



昨日(もう一昨日かな)心が揺れて古い記憶や妄想的不安がデトックスされた。

そしたら、あたらしいわたしと再会した気がした。(http://chie909.jugem.jp/?eid=778



そのわたしはさらに自由でクリエイティブで遊びたいのだ。ホワイトボードは、そんな、あたらしいわたしのための準備だったんだなー。


心のスクリーンに気がついたのは4月。

5月にはボードを手に入れていたけど、わたし自身の意識が変容するまで、待っていた、んだろうね。


と気づいたのがおもしろくて、もう眠りたいのに目が冴えて、こうして日記を書く 笑。


記録しとくとまたあとで何かを見つけられるかもしれないし。



ホワイトボード。

まっさらに白く、輝くキャンパスのよう。

そこに何を描こうかとワクワクする心。

創造性がでてきたがっている。

これからのわたしをあらわしている。


選ぶ持ち物は、その時の生き方の象徴でもあるね。



どうしてカラスなのかな


フォーカシングで見つけた、わたしのダイモン。

左の肩にはカラスがいる

タカやワシのイメージもあるから、わたしのマヤ暦のキン、『青い鷲』のことを思いだした。

だけど、鷲ではなく、どうしてもカラス寄り。
鷲っぽいところはあるにせよ。

なんでかなぁ。。




たぶんカラスは、人間の暮らすところにいるから。

空の高みから見ているのではなく、人の生活に触れてる感覚がカラスなんだ、きっと。


ゴミをあさるのは困ったもんだけど。。


毎日、ご飯をくれた女の子に、ボタンとか光るものをいくつも、プレゼントしにきたカラスのエピソードが好き。

左の肩にはカラスがいる


おとといのフォーカシングで、わたしの中の金色のおサルさんを見つけた。

フォーカシングのセッションが終わっても、カラダの内がわでは、いったん動きだした感覚がまだ動きつづけている。

帰り道、電車の中で、ボンヤリとその動きを感じていた。

ニューフェイスのおサルさんの定位置は右の肩みたい。

そして、左の肩には、カラスのような鳥がいるのに気づく。

とはいっても、この鳥の存在は、前から知っていた。

「何となく、わたしのダイモンはカラスのような気がするわ」、とか、ファンタジー好きの友だちと話していたりして。

ダイモンというのは、『ライラの冒険』にでてくる生き物。
その世界では、人はみな自分の分身のような動物をもっている。(ダイモン


左の肩の鳥は、カラスにそっくりだけど、そのものではなく、青味がかった黒い色をしている。
タカとかワシの雰囲気もあるかな。

まわりで起こる出来事にはあんまり興味がなくて、ある目的(たぶん使命や役目と言いあらわせるくらいの)にかかわることだけに反応する。

その心は深い濃紺の空、漆黒の宇宙に向いていて、何か(サインのようなもの?)があったら、まっすぐに、素早く、鋭く、星のあいだに飛びこんでいく。

青みの黒い鳥には、金色のサルよりもなじみがあり、わたしはこの鳥が星の間に飛びこむとき、運命を共にするんだ、と思う。

このイメージは、重々しく、深く、遠い何かとつながっている。



いっぽう、右の肩に気持ちをうつすと、晴れた日の陽射しのような顔をしたサルがいて、ウキウキとまわりのモノをいじっている。

そして、鳥の方の肩の上に手をのばして(そちら側はロイヤルブルーの星空)、星をまるでクッキーのようにつまみとり、パクリと食べたりする。
幸せそうに。



こんな感じで家にもどると、わたしの内がわで、「すぐに眠った方がいい」、とささやく何かがあった。

疲れて眠たいのも確かにあったし、エネルギーや意識が変わる時、“ 眠り” が、促進や仕上げみたいに働くのも知っている。


そして、眠った。

起きた次の日から、いつもの肩の凝りが軽〜くなっている。

わたしの内がわの何かがゆるんだんだろうな。

青みの黒い鳥のことに集中していた時には、緊張感や目的意識が主だったんだろうなって気がする。

そこが一段落したから、サルが遊ぶよゆうが生まれたんだろうな。


2日たって、つらつらとそんなことも分かってきた。


わたしのなかのおサルさん


今日は、フォーカシングの勉強会。


(フォーカシングとはこんな感じのものです
言葉とカラダ

わたしの中の

わたしはけっこう久しぶりの参加、3ヶ月ぶりくらいかな。

フォーカシングをすると、自分のなかの思わぬ何かを見つけたりする。

これはほんとにおもしろくてドラマチック。

今日は、わたしは、自分のなかの、サルを見つけた。

金色で、楽しげで、遊び好き。
けっこう賢そう。

興味をもったこと、器用な手先で試して遊ぶのが好きみたい。

このサルがあらわれる前、わたしは自分の胸のモヤモヤをあつかっていた。

モヤモヤだけに、重い感情があらわれるのかと思いきや、サルに気づく前にあらわれたのは、キラキラと輝く真っ白なスクリーンだった。

そして、胸のおくに踊る、期待感。


サルになる以前のその何か、は、輝くスクリーンの光がとどかない、斜めの陰のなかにいて、ぼんやりとグレーで、泣きたい気持ちを感じさせた。

わたしはフォーカシングでそのグレーの何かによりそおうとするけれど、近づかせてもらえない。

でも、「そうか、そこにいるの分かってるからね、また来るね。」と話しかけてから、立ち去ろうとすると、それはふっとわたしの懐にやってきて、赤ちゃんのようにつかまった。

しばらく抱いてるイメージがあって、気がつくと、金色の楽しげなサルに変わっていた。


これが、わたしの一部だって分かる。

こういう面を、これまでは斜めの陰においてて素直にだしていなかったんだろうね。

このサルがいま、わたしの肩にのっている。(イメージでね)
これからどんなふうになるのかな。
と楽しみ。

サナギになるとき


ふと、パタリと風がやんだように、
意欲とか、内がわで感じていた確かさが、
なくなってしまうときってある。

この前、そんな話を友だちがしていた。

頼りない気分。
自信もなくなり、どうしたらいいの、と不安になる、と。


わたしも、ドカッとそういう時期はあったし、
変わりめには、短いけれど、ときおり感じる気がする。


そういうとき、

まずは、よく眠ること、
栄養のある、おいしい食事をしっかりとること。


あとは、

ものごとは変わり続けていて、

今はきっと変わりめなのかもしれない、
と自分の内がわを感じてみること。

流れに身をまかせて、
考え方や、ものの見かたが変わっていくことを、受けいれること。


かな、と今のわたしは思ってる。



青虫がチョウに変身するまえに、
サナギになるように。


サナギのなかで青虫は、
いったん形をなくすのだそう。

人の心にもそういうタイミングってあるみたいね。

その期間は、短いときもあれば、長いときもある。

外から破いてしまうと、
サナギは蝶にならずに死んでしまう、んだとか。

自分の(自然の、かな)タイミングで蝶になる。



変容は、青虫のつづきではなく、
ある終わりから、
つぎのはじまりへの飛躍だって。

ぐっと進化していく(本来の自分の姿になっていく)
とき、かもしれないよね(^^)







HP 星を道しるべに

惑星ノートCalender


エアーポケット


年末年始に風邪をひいてデトックスして、そのあとは、体と心とに、ぽかりと何かが空いた感覚があった。

お友だちと話していて、エアーポケットに入ってると言われ、そうだそんな感じ。

こんなときには、ジタバタせずに流れに身をまかせて過ごすのがいいね、と。



昨日くらいから、そこにしっかりとした何かが現れたみたい。

たぶんやってることは、デトックスの前と後と変わらないように見えるけれど、
わたしの中の感覚は全然ちがう。

これまでが “ 駆け抜ける ” だったらなら、
ここからは、より地に足がついた感覚。

今年のテーマは“ 現実化 ” かな、と昨日ふっと言葉が浮かんできた。


現実的に本気で自分のチカラをためすって、望んでいながら、大切だからこそ怖くてたまらないところもあったけど、
その怖れがだいぶとれた気がしてる。

12月から、こういう星まわりと頭では分かっていて、体がそれに追いついてきた感じ。

カタチにしていくこと、ドキドキするけど、とても楽しみになってる自分もいる、このごろです。

みなさまもどう過ごされてますか(^^)



惑星ノート

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