ふつうに


家族が今週手術をするので、細々とした準備をすませつつ過ごしている。


執刀医である主治医は、頼もしく親身で、安心感がある。

しっかり話をしてから、信頼してまかせよう、と腹がくくれているみたい。

わたしもおなじ。


とはいえ、やはり静かな緊張はずっとつづいているし、いつものささやかな日常にたいしても感じ方がちがう。

繊細に、心のぐっと奥から触れているような。


わたしは負荷がすぐに肌にでるから、このところずっと腫れてて落ちつかないけれど。


わたしがどよよんとしてるより、少なくともおもて向きくらいでも、ふつうに穏やかにしてようと思う。

こういうときは、軽やかな冗談をいって笑わせるくらい余裕があるとよいのかもしれないね。雰囲気にのまれずに。


これは、フォーカシング的にいえば、緊張感や繊細さがあることをていねいに認めてその気持ちによりそいつつ、それに同化しないで、おもしろいことを考えたりする自分も認めて引きだすって感じかな。


この絵もそんな気持ちにさせてくれる^ ^

栗田淳一さん作

「心がアートをうみだしている」より

https://www.1101.com/yamanami/2019-07-13.html 


ほぼ日の連載ですが、今日の4回目の話もよかった〜〜〜。ぐっときた。

ここのアートたちも山下施設長の話も、へたれたわたしを力づけてくれる。

 4回目https://www.1101.com/yamanami/2019-07-14.html






わたしの肌の調子は、まだまだではあるけど、いちばん酷い時よりはずいぶん改善してるから、あるていどだけど動けてよかった。



こんな真摯な空気感は、いま空の太陽や金星が、土星や冥王星という重々しい星のエネルギーにふれていることからも読みとれる。


そういう重々しい気持ちになりやすいタイミング。


だからこそ、その雰囲気にのまれずに、わたしのなかの土星と冥王星をながめてみる。


土星と冥王星が伝えるエネルギーをしっかり味わってみる。





『心がアートをうみだしている』


せんじつ、ふとつけたカーラジオで流れていた番組では、ちょうど糸井重里さんがゲストだった。


糸井重里さんには、“ ほぼ日 ”から興味をもった。

ほぼ日の活動からは、わたしが目指したい生き方へのエッセンスがたくさんもらえて、人生の先輩として気になっている方のひとり。


だから、ラジオをつけたタイミングで、その方が招かれ登場する、というのはとてもうれしい、ツイテル感じ。


ほぼ日 の連載はおもしろいって感じるものがおおい。


いまハマっているのは、

知らない土地の雰囲気を味わう旅行記としても情景を描く文章がいいし、書いてる人たちのどことないユーモアや仲間感もいいなと思う。

「ネパールでぼくらは」

https://www.1101.com/nepal/index.html


そして、こちらのアート活動とその広がりがすごいなぁと感動してしまう。

画像でだけど作品をみて、子どものような感性(生命の輝きの純粋さ、のようなもの)を保ちつづけているんだろうなって思った。

「心がアートをうみだしている」

https://www.1101.com/yamanami/2019-07-11.html 



栗田淳一さん作

(上記の「心がアートをうみだしている」よりお借りしました。)



・教育の場(ネパールでぼくらは)、

・アート表現の場(心がアートをうみだしている)

どちらの連載も、

・人が安心してその人自身でいられる場づくり、

・ふさわしい場(物理的環境と理解しサポートする人たち)があるから、それぞれの可能性を育み表現できる、

というところがあると思う。


人とのつながりがさらに活動を育て、ひとつの場でうまれたものたちが、さらに広い世界に羽ばたいていく。

そんな空気感も好き。


その人らしさ:創造性の発揮、それを育み広げてくれる人とのつながり、っていうのは、やっぱりわたしがいちばん惹かれるキーワードだな。


わたしが心理占星術やタロットリーディング、フォーカシングという活動を通してしたいこともおなじ。


わたしのしている活動は、まずはそれぞれの人が、安心して本来の自分を表現するために、自分自身で環境をととのえる。


本音と向きあい、

あるがままの自分を知り、

それをいかせるスペースを内面につくり守る、

ことができるようになるためのサポート。


そんなことをあらためて確かめられた。


わたしはいまは家族のために動く時間がおおくて、忙しいせいか肌も腫れているので、なかなか思うようには出かけたり活動したりはできないのがもどかしくもあるのだけれど。。。


少しずつこの先がみえてはきているかな。








久しぶりの電話で

先日、東京のお友だちとすごく久しぶりに電話で話した。


彼女もアーティスト。

ステンドグラスなど、ガラスの表現者。


人生の先輩としてさすがだなーと思う面もありつつ、若々しくロックで気さくで素敵な人。


個展にいったとき、光と闇と、揺らめく影がうつくしく、しんと静かな気持ちになった。



自分の感じる世界を表現できるっていいね(^^)


その世界にはいるときには、目にはみえない響きのようなものもふくめて、そこにあるものたちをしっかりあじわえたらなぁと思うけれど。。


どのくらい感じとれているのだろうね。



わたしの身体が落ちついたら、宮崎に遊びにきてくれる予定。


そのときなんとなくわたしが言ったのは、あちこち出かけられるほど落ちつくのは、半年後くらいかなーと思う、と。

確かではないけれど、そんな気はする。


3ヶ月めどくらいで、あーこれまでよりはラクになったなあと感じるから。

あと6ヶ月ほどしたら大丈夫かもしれんと思ったの。


3ヶ月後でも今よりは動けるんじゃないかな、、とは思う。

刺激的なことはまだできないとしても。


(もちろん、もっとはやくよくなったらとてもうれしい。もどかしくて悲しくなることもよくあるけれど。焦ってもしようがなくて。)



宮崎の海や、自然、こだわりの素敵なお店をご紹介してみたい。



そういえば、もうゴールデンウィークだった。


楽しまれてる方もいらっしゃるでしょうし、


忙しくてなかなかゆっくり休めない方もいらっしゃるでしょうね。


少しでも心地よくお過ごしください。



私の肌の症状のこと

この話は、わたしが今、たぶんいちばんナーバスになってしまうことで、過剰に反応してしまうのもわかってる。

だからかな、いまの体調をうまく説明することも難しいのですが。


時にはちゃんと説明して伝えられたらなー思う。


周りの人が、この状態の私をただそのままに受け入れてくれたら(すっかり理解することはできないとしても)、気持ちがラクだからね。


今でも、周りの人たちが、ほぼそのままにこの状態を受け入れてくれてるって感じてはいる。

ただ、書きたくなったので書いてみる。



重たい話なので、興味のある方、余裕のある方だけお読みくださいね。



*****


私のいまの肌の症状は、脱ステロイドの後遺症で、肌が変形していてちゃんと機能できていないから、普通の人のようにバリア機能も働かなくて、いつも痛くてかゆくてしんどいって感じです。


脱ステロイドについてはいろいろ言われているし、ステロイドはちゃんと使えば悪い薬ではないと説得される。


けれど、その“ちゃんと” はとても難易度が高く、軽い症状の人はうまくいっても、アトピーの症状がでてしまった生活の改善や過度のストレスをなくす、などしなければ、アトピー反応は起こり続けるから、ステロイドを一時的にしか使わずに辞めることはむずかしい。


しかも、当時私がかかっていた医師は、生活改善などのアドバイスはほとんどなく、薬を使ってもよい期間をくぎらず、いつもただステロイドを出すだけだった。症状がおさまらず、どんどん強いものになっていった。

わたしも副作用のことなどあまり知らなかった。


だから、今、脱ステロイドをしたのがいけなかったかどうか、など議論のようなこともしたくはなくて。


ステロイドを使いすぎると、肌の機能が壊れるので、はじめのアトピーで苦しんだ症状(これですら相当つらいのに)が何倍にも酷くなったようなひどい痒さや痛みを感じ出す。


ついにはステロイドを使っても効き目はなくなり、肌は薄くなり赤く腫れただれ体液がにじみ服ははりつきます。

この時は気が変になりそうな痒みと痛みもでてきます。


当時は知識も多くはなく、ほかにしようもなく脱ステロイドを始めました。

肌はボロボロで離脱症状は想像を絶するほどきつくて最初の1年間は地獄のようでした。


その時の体験をすっかり書ききれることはないと思う。



考えてみると、今と同じ知識があっても脱ステロイドをしたと思う。

効き目もなくなり、肌も異常な状態になり、使い続けることはできなかったのだから。


さらに言えば、もっとはじめからやり直せるなら、ステロイドを使わず、環境(過度のストレスを感じていた仕事も含めて)生活改善、体質改善にとりくんだでしょう。


(ステロイドは、使い方がうまくいかなかった時の離脱症状の酷さからも、安易に使う薬ではないなと感じてます。


信頼できる医師と一緒に使い方を理想どおりに厳密に守れる症状の方はきっといいのだろうけれど。)



そんなこんなで酷い時期をすぎて、なんとか動けるようになって、まだ肌は普通にはなってはいなかったけれど、仕事もしたいこともあるし、できる限り普通に生活していました。


ただ、いつも痛み痒みがあり、疲れた時や季節の変わり目などには、しょっちゅう発作のように、あの酷かった症状が全部ではないけれどもどってくるので、とうとう耐えきれなくなり、もう一度ちゃんと療養して、すっかり普通の肌にしよう、と決心して、食事療法や入浴療法を再びはじめていまに至ります。


肌の力が弱っているから、刺激になることをなるべくやめて症状をおさえつつ、本来の自然治癒力を発揮しやすくする。



だから時間もかかるけれど、ステロイドを使っていたとき、そして離脱症状の酷いときのような、肌の奥から湧き上がるような吐き気におそわれるような痒みと痛みはずいぶんなくなりました。


いまは、状態がよいときや、緊張しているときは、数時間はふつうに過ごせるけれど、緊張が解けたあとは、どっと痛み痒みがでます。

肌には、赤く腫れてるところや傷が、まだいつもあるから。


入浴療法を再びはじめて、ちょうど4ヶ月目。はじめはリバウンドなのかな、いったん悪化したようになった。

ものすごく酷い時よりはましだったけど、やっぱり肌が赤く腫れ痒み痛みが激しくなった。


けれど、3〜4ヶ月ってひとつのメドみたいで、一段、階段を上ったくらい良くなってる気がする。

波はまたあるんだろうけれど。


壊れてしまった肌の機能をとりもどすのを待つのはほんとうにしんどい時がある。


けれど、本来の身体に戻りたい、と、ほんとうに願うので続けられる。


(酷い時には自然治癒力を使う治療法の医師の指導を受けました。いまも脱ステロイドをして本来の肌の力をとりもどす治療を研究し実践されている医師の本も読んでいます。)


少しずつ身体が力を取りもどしているのを感じるので、治るって信頼できている。

ただ焦ってはいけないなーと。

身体が必要とするだけの時間は待たなきゃなぁと思ってます。




とりとめもなく書いたけれど、ここまで読んでくださってありがとう(^^)


ラクな時間もずいぶん増えてきたし、気持ちはすごく元気ですよ。



日本語ってむずかしい

日本語ってむずかしいんですねー。

そうだろうと思ってたし、自分自身も敬語や熟語など、ちゃんと使いこなせてるかはあやしいんだけど。


日本語を学ぶ外国の方が、試験で真剣に書いてしまった回答が、おもしろすぎた。

大変ですねー、とねぎらいたくなる。

そして答えがどことなく可愛い。


楽しい記事だったのでここにもリンクしとく。

https://ameblo.jp/rumicommon/entry-10033740439.html 





2018年ありがとうございました

今年も残すところあと数時間。

2018年、よい年でした。


体質改善優先で引きこもり、

できることが少なく、

落ちついて過ごせる時間も限られている。


だからこそ、活動もいま必要なことだけに自然に絞られてきたのは、わたしにとってよかったなぁと思ってます。



このブログを覗きにきてくださってありがとうございます。


2018年はどんな年でしたか?





わたしは、“言葉” って昔から好きなのですが、これまでは、あらたまって文章を書くこうとすると、重たい気分になって、なかなか進まないところもありました。


やろうとするのに、なかなかできない、ってことにも理由はあって。


落ちついて時間をかけてフォーカシングをして、自分のホロスコープの特徴とも照らし合わせて理解して、それが何なのかようやく腑に落ちてきたように思います。


文章で表現すること、2019年は、さらにのびのびと試してみたいです。



そして、もっと体調が落ちついたら、やりたいと思うこといろいろやってみよ、とあらためて思う年の暮れ。

身体の変化を焦らせるつもりはないけれど。

それもまた必要な時間だし。




よい年をお迎えください。

今と今、で出会う

昨日はフォーカシング勉強会

この会では、フォーカシングの実践はもちろん、専門の本の読みあわせや、最近学んだことや体験したことのシェアをしたり、いろんな情報交換をする。


近況も、まわりのみんながフォーカシング的に(判断せず、おしつけず、あるがままに、心をひらいて)聴いてくれるので、すっきりと落ちついた気分になりやすい。


昨日は終わったあと、近くにできたあたらしいカフェを覗きがてら、お茶しておしゃべり。


そのときに、「今と今、で出会いたい」という言葉がでて、印象にのこった。


たとえ、いつも会っている気の合うなじみの相手でも、過去にわたしがどう言ったか、どうだったかにこだわらず、


そして、“この人はこういう人”というラベリングなしで、


ただ、今この瞬間、目の前にいるわたしを、あるがままに、みてもらう。

「いま、こんな風にかんじているのね、そうかそう考えてるのね」と。


それは、自由で呼吸がしやすく、変わり続けているなにかを、イキイキさせてくれるなーと思った。


その人の根本的な気質は、よほどの決意がないかぎり、大きく変わることは少ないかも知れないけど、


感じ方や考え方は、日々の体験や気づきで少しずつ変わっていくのがあたりまえだし、なんらかの刺激的な体験で、大きく変わることもある。


今、目の前にいるわたしは、過去、昨日とも、ちがうわたしだから。





近くにできたカフェ。

Meals are Delightful(https://www.marumitsu.jp/m_a_d/

いい感じ♪


2階の食堂カフェ



心の池に飛びこむカエル


せんじつ、なんとなくつけていたラジオで、松尾芭蕉の生涯を、物語ふうに聴いた。


芭蕉は、ただの言葉遊びだった俳句を、芸術に高めた人だという。



藩の誰もが認めるほど、文芸の才にたけた芭蕉は、俳句の魅力にとりつかれ、


そのころ、ただの言葉遊びとして、おもしろおかしく場を盛り上げるためにつかわれているのをみて、そうじゃないんだ!とつよい違和感をかんじていた。


「ちがう。俳句はそれだけのものじゃない。もっと深く感性に触れる何かを、表現できるはずだ」、と。



芭蕉がその信念を表現し、認められるきっかけになったのは、この句だ。



  古池や蛙とびこむ水の音




この句がなぜすごいのか。


芭蕉は、蛙が水に飛びこむ音を耳にして、「蛙とびこむ水の音」と下の句を先につくる。


そうして、目を閉じて考え、「古池や」と上の句をつけた。



芭蕉は、水の音を聞いただけで、蛙が飛びこむところを、実際に目でみたわけではない。


目を閉じたとき、芭蕉が見たのは、自分自身の心の風景だった。



こうして、俳句は、目に見えない感性を映しだす芸術として、表現されるようになる。



*********



わたしは、昔から俳句が好き。


言葉じたいが好きなので、五 七 五 という短さで、ある風景が浮かんでくるのが素敵だし、研ぎ澄まされた言葉への感性があるように感じて、かっこいいと思っていた。


だから、このストーリーも興味深く聴いてた。



そして、はじめて俳句の魅力が、バチっと分かった気がした。これまでの、なんか良いよね、くらいの受けとめかたとは、雲泥の差だと思う。



芭蕉の心象風景が描かれていると知り、あらためてその句を思い浮かべたとき、わたしの心の奥でも、パシャんと水の音がした。


小さなカエルが、わたしがすっかり忘れていた、思い出の池のなかに、つつーーっと潜っていく。

心のなかでさざ波が、かすかに揺れる。



そして、わたしはその夜、すこし切ない夢をみた。

起きたあともしばらく、ぼんやりともやのような悲しみが残っているような。


それをただ感じて、ゆっくりと起きだし、いつものように過ごしているうちに、そのもやは晴れ、清々しい気分になった。


カエルは岩の上で、あたたかい陽射しを浴びている。






生き生きと奔放に、堅実に


お正月にみた映画『イタリアが呼んでいる』のなかで効果的に使われていた、アラニス・モリセット。

昔好きでよく聴いていたので、思い出して懐かしかった。
最近またよく聴いている。

映画ストーリーは、マニアックな単館系で、とくにドラマティックな出来事はおこらない。

コメディアンとして活躍ちゅうの男性2人がとにかくよくしゃべる。よく分からないネタが多かったけれど、なんとなく可笑しかった。

なにより、景色がさいこう!
イタリアの田園風景、

太陽の光が燦々とふりそそぐ海。。


料理もとっても美味しそうで(ドライブしながらグルメ取材をしている)それだけでも満足した。

リゾート気分を楽しみながらも、仕事や家族のこと、それぞれ人生の曲がり角にさしかかっている雰囲気も時々あらわれる。
ひょうひょうとしながら、精一杯向きあって、いまできることを探す。

そんなところにも共感した。

ちょっと苦さも味わいつつ、リアルに生きてる感じに、アラニスの歌はよく合ってた。


わたしは、何か苦い出来ごとがあったわけじゃないけど、内がわと深く真摯に向きあうタイミング。(わたしの冥王星に空の土星が90度)
うん、やっぱりアラニスの歌はよく合うなー。

土星が山羊座に入って、社会性や堅実さが意識されるなか。

生き生きとした個人の生命力の輝きや奔放さが、社会的な責任感と同じくらい(あるいはそれより多いくらい)の濃度で、存在を主張してこそ、山羊座的社会は成り立つんだ、と感じているところ。
人それぞれが生き生きとできない社会は力がないもんね。


リラックスしてよく笑いよく遊ぼう。

そしてほんとに望むことを堅実に。

それが今年の抱負かな。

 

 

 

 

 

 

光(智慧)をはこぶもの

ついこのまえ、ルシファーという小惑星の意味をしった。


ルシファーは堕天使だ。

罪を犯して翼を失い、贖いのために地上におりた。


地球がほんらいの輝きをとりもどすまで、その務めはつづくとか。


その語源は、ルーチェ(luce)。

“ 光 ” を意味する。


ルシファー(Lucifer)は、光を運ぶもの、という意味をもつ。


闇に落ちたのにおもしろいよね。

単純に “ 罪を犯して ”という話ではないのかもしれない。

(象徴としてシンプルになってるけど、もっと想像力を働かせる余地はあるような。)


ルシファーの象徴するものが魅惑的なうえ、このまえに、雲間からさす天使の梯子をながめて、翼を失うイメージが湧いていたから、なおさら心惹かれた。


 

 

 

わたしのホロスコープでは、ルシファーはノード軸とスクエア。今世で果たす主要なテーマのひとつ。


それで、最近ちょっと遊んでいる易のサイト(https://tankyuu.net/eki/)で「わたしにとってルシファーの意味するものは?」と引いてみたら、こうでたよ




ホロスコープで読んだ意味を裏うちする。

そして表現がしっくりきた。



これは、わたし自身にというより、占星術やフォーカシング仲間、分野はちがっても、人がイキイキと生きるための知恵を伝える人たち、みんなにあてはまると思った。

仕事でなくても、人生の知恵をさりげなく教えてくれるまわりの人たちも。



本質を学び、知る、ことで、とらわれているものから解放され、癒されることは多い。

(知識で決めつけるというのは、逆にとらわれるから、本質的で、その人の内面に光をあてる知恵とは、またちがうね。)



自分にもどると。

わたしは、そういう人たちと、そういう活動にたずさわって生きたいし、そう生まれついたんだなぁとあらためてすんなり分かった。

つけてもらった名前もそうだしね。

もうシンプルにそれでいいんだなと、しっかり落としこめたら、内がわの何かがまた軽く、生きるのがラクになった気がする。

 



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ルシファーはこちらの進化占星術の講座で学びました。とてもおもしろくホロスコープ理解が深まりました。

リクエストで開催可能だそうですよ!

 ↓

eu-balance/ホリスティックセラピー

http://blog.goo.ne.jp/eu-balance/e/97778d89cd74544ca67638fbf4d4c905

 


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最近よく聴いてるガブリエル・アプリン

なんだかわたしの中のルシファーのイメージにしっくりくる歌